Vol26. イスラム国 その2
英語のアサシン(暗殺者)という言葉はアラビア語のハシーシュ(大麻)からきているという。11、12世紀ころに現イランの北東部を拠点とした狂信的教団が暗殺という手段を使って敵対する支配権力に対する抵抗闘争をしていたという史実がその由来だ。かのマルコポーロが東方見聞録の中で、この暗殺団のことを「山の老人」という話として伝えている。
概ねこんな内容だ。「峻嶮な山奥に長老が住んでいて、彼は山の谷間を囲い込んで綺麗な宮殿を建てた。そこには世にも美しい庭園がつくられ、葡萄酒や牛乳、蜂蜜、豊富な水が流れる川があり、果実をたわわにつけた果樹が植えられていた。しかもそこでは妙齢の美女が楽器をかきならし歌い踊っていた。そこはまさにマホメットが語っていた楽園のようだった。そこに刺客に仕立てる屈強な若者を、一服もって眠りに落としたうえで運びこむ。目が覚めた若者はこれこそ楽園だと信じ込む。その別世界を満喫させたあと若者をある時また眠らせて現実世界に連れ戻し、山の長老が命じる。これこれの人物を殺してくれば天使がまたお前を楽園に連れて行くだろうという。若者は楽園に帰りたいとの思いから死の危険を冒してもこの命令を遂行した」
「暗殺者教国―イスラム異端派の歴史」(岩村忍著)によればこの暗殺教団はイスラム教のニザリ派の信奉者集団だという。このニザリ派というのはイスラム教の非主流シーア派から分派したイスマイリ派の中からさらに離れた小派で、原始イスラム教の峻厳な絶対性を復活することを説いている。その純粋性、厳格性ゆえに厳しい戒律のもとで信奉者は強い結束力を示し、己の教義の目指す世界の実現のためには手段を選ばず敵対者との闘争を続けて来た。当初はセルジューク族のイスラム教主流派のスンニ―派の支配を攻撃対象としていたが、やがて同系宗派ともいえるイスラム非主流のシーア派とも敵対することになってイスラム世界全体から異端の暗殺者教団と恐れられることとなった。ただ暗殺の対象は支配者層、有力者でスンニー、シーアを問わず一般大衆を狙うことはせず、社会的弱者を味方につけていたという。またその影響地域は一地域にとどまらずペルシャの東北部や中部など各地に信奉者が拠点を持つ形で広がっており、ネットワーク国家を作りあげていたといわれ、時の支配者側が必死にこの暗殺教団の討伐を試みるがいずれも成功しなかった。
さてこの話、なにか現代の「イスラム国」を彷彿とさせないだろうか。「イスラム国」に夢のような楽園が存在するとは思えないが、多くの若者たちが自爆テロや過酷な戦闘に身を投じる姿は、死後の楽園を夢見て暗殺者となった「山の老人」の話とダブってみえる。またイスラム教徒の弱者への支援など生活インフラ整備も進めているといわれ、国境を越えたネットワーク国家づくりも進んでいるようだ。またいまやその過激性から既成イスラム国家からもテロ集団として恐れられているのも暗殺教団と共通しているようにみえる。
その暗殺教団は13世紀になってこの地域に進攻した蒙古軍によって完全に討伐されるまでおよそ200年にわたってその活動を続けていた。はたして「イスラム国」はどのような運命をたどるのだろうか。
小西洋也(こにし・ひろや)
1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。
1966(昭和41)年、海城高校卒。
1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。
現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。