VOL.25 公平公正
衆議院選挙を前に自民党がテレビ各社に公平中立な報道を要請する文書を出したことが影響したのかどうか分からないが、今回の選挙を巡るテレビの放送時間は今までと比べて随分と少なかったという。もともと許認可のもとで成り立っているテレビが“お上”にたてつくことなどあまり期待はできないとはいえ、公平とか中立的とかいわれて反論もせずに自粛しているとすればあまりにも情けない。そんなことを思っている時公平性ということで思い出した。テレビ草創期の1950年代、アメリカで吹き荒れた赤狩り旋風に果敢に挑んだ伝説のCBSのニュースキャスター、エド.マローのことだ。リベラルな発言をすればすぐに共産主義者のレッテルが張られ、職場などから追放されるという恐怖が社会全体に漂い、報道機関も自らの身が危なくなることを恐れ口をつぐんでいる中で、彼は公平性を盾に赤狩りの急先鋒であるマッカッシー議員の発言の矛盾、欺瞞性を明らかにする番組を制作するのである。
それは「ニュースキャスター エド・マローが報道した現代史」(中公新書 田草川 弘著)に詳しいが、相手には反論があれば放送した番組と同じ放送時間を与えることを提案しているのがその戦法である。それは予め両方の意見を公平に提示することを保証することで番組が一方的な意見、あるいは個人攻撃であると相手から付け込まれるのを避けようということを狙っている。いわばテレビ報道における公平性を逆手に取った作戦だった。さらに注目されるのはその番組の作り方である。マッカーシーのそれまでのラジオ、テレビでの発言や演説など過去の言動をすべて洗い出し、彼自身の言葉、しぐさ、表情をみせることで論理矛盾や本人の人間性を露わにするものだったという。敢えてコメントを挟まず、事実を伝える報道の客観性の体裁をとりながら、破たんしている姿をまさに本人が雄弁に語る姿を観せることで視聴者が理解するという内容になっていたという。
時代背景、状況は今とは比べものにならないが、テレビの報道番組を制作する基本姿勢が明確であったから番組は成功し、評価されたと言える。公平公正中立といった当局からの発言はある種の圧力、規制ということにもなるだろうが、それも使いようである事をこのマローの番組は示していないだろうか。「みんな怖いんだ。われわれはある意味でみな共犯者だ。そうでなければ一人の男がこれほどに国中を怖がらせることはできないはずだ。我々の仕事は放送したものによって評価される。しかし放送しなかったものによっても評価されるのだ。放送しなかったら一生悔やむことになると思う」とその批判番組をやると決めた時の覚悟をマローはこう語ったという。
余談だが「テレビジャーナリズムの父」と英雄視されたマローも結局は安定を求める組織の中に居場所を失い局を去ることになる。半沢直樹が土下座を勝ち取ったあと左遷されたのと同じである。さてそれでも報道にかけるという記者がいることを願いたいものである。
小西洋也(こにし・ひろや)
1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。
1966(昭和41)年、海城高校卒。
1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。
現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。