Vol.21 イスラム離れのイラン

 革命から30年経っても世界のイランを見る目はどうしても過激なイスラム国家のイメージから抜け出せない。その指導者の言動がイスラムの覚醒、イスラム原理主義を主張するテロ組織の台頭を促してきたことを思えば、そのように思われても仕方がないかもしれない。しかしイランに入ってみるとあまりのイメージの違いに拍子抜けする。なんだか平穏そのものなのだ。もともとイラン国民のイスラムに対する宗教的関心度は全体的には低いのだが、いまはどうも国民の間にイスラムに対する幻滅感すら漂っているように思えるのだ。

 

 今回あれっと思ったのは礼拝の時間を知らせるコーランの朗詠「アザーン」が全く聞かれなかったことだ。30年前は夜明け前や夕方にはあちこちのモスクから一斉にコーランが流れ町中に響きわたっていたのだが。「やってることはやってますよ。でも町全体に響くようなことは控えているみたいだ」という。市民のイスラムに対する反発が強まっているので宗教界が以前より静かになっているというのだ。イランは小話を作るのが昔から得意なので本当か作り話か分からないが、こんな話を聞いた。「最近のタクシーは坊さん(ムラー)を乗せない。完全に無視するし、乗せてもわざと行き先を間違えたと言って帰りの車もつかまらないようなところで降ろしたりしている

 

 テヘランの司法省の前には大勢の人だかりができていた。「25年も待っているのに私の土地はいつ返ってくるのだ」といったプラカードを持つチャドルをかぶった女性たちの姿もみえる。革命によって大きく制度が変わったことに加えその後も制度や規則がたびたび変更されるため、判断を仰ぐために司法省に押し掛けるケースが多いという。地方ではイスラム体制の中で力を持った坊さんや地域の権力者が勝手に動くケースもあって混乱に拍車をかけているようだ。「会社に坊さんが入ってきて礼拝を強要したり、従業員の教化活動をしたり。あれやこれや口出しして、結局仕事にならず会社は倒産に追い込まれた」と中小企業経営者が嘆く。それでもテヘランには高級マンションが立ち並ぶ。一体誰が購入するのだろうかと聞いたら「坊さんや新興の利権集団の連中さ」とタクシーの運転手は吐き捨てるように言った。

 

 現政権が国内の不満をまた外に向けることは考えられる。しかし「イスラム世界になれば素晴らしい世界が誕生すると言ってきたが何も良い事はなかった。このイランの30年がそれを実証している」と感じている人は多い。不満を高める国民を再びイスラムの旗のもとに結集させることができるとは思えない。逆に米国との関係改善も視野にいれた政策をとらざるをえないようなところまできているように見える。イランのイスラム国家建設という理想に向けた「実験」は30年を経ていま大きな岐路に立たされているようだった。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。