この対談は妙壽寺本堂落慶30周年記念インタビューとして同寺の広報誌「寺楽寿(てらす)」16号、17号に掲載されたものです。

転載許可を頂きました。話の展開により一部見出しと構成を変更しておりますが全文掲載させていただきました。

なお対談相手は三吉廣明氏(妙壽寺住職)です。


泊 懋氏(元東映アニメーション会長)が語る映画の時代とテレビの時代

【パート5 】「 勧善懲悪」とは

 

三吉 ところで私は「暴れん坊将軍」もそうですし、泊さんの関わられた時代劇が、一つの流れというのは、勧善懲悪というか、最後は悪い人は悪い、ということになるわけじゃないですか。

 

泊 「泣き 笑い 握る」は東映映画の骨法ですが、勧善懲悪、ハッピーエンドは娯楽映画のハートの部分です。悪が勝ったり主人公がやられたりして終わったらなんとも後味が悪いものになる、悪を倒して爽快な気分で映画館を出て行ってもらわなければいけない。

そこで悪の設定も大事になるんですね。全盛期の東映時代劇には憎たらしい悪役が山ほどいました。

阿部九州男を斬っても山形勲が出てくる。斬るとまた向こうには進藤英太郎が出てくる、これで終わりと思うとまだ月形龍之介がいるといった塩梅で、強い悪を設定するほどスカッとする。

 

三吉 勧善懲悪。それが当時の時代にも合っていたし、時代を作ってきた。それは日本人の精神文化の中ですごく大切なことじゃないかと、昔はよく我々の先輩方が、いや昔はそれこそ50年、100年前というのは地獄絵というのがありました。その地獄絵は子供の時から家にあって悪い事をすると地獄へ落ちますよ、目には見えないものに対しても何か悪い事をしたらいけないんだ、というのが背景にある訳じゃないですか。そういうのを私は大衆文化のなかで、時代劇というのは体現している。もう結果は分かっているんだけれども、そのプロセスとか、その中でそういう勧善懲悪ということがきちんとメッセージされているというのは、私は日本人の心のバックボーンとしてすごく大切じゃないかと。

今、外国人の観光客が年間1000万人が来日しているようですが、日本人は何がすばらしいといったら、「みんな正直でいい人だ」というわけですね。だって物を盗らないし、お金を落としても戻ってくる区になってないですよ、世界の中で。それはやはり江戸時代からのそういう相互扶助の精神であったり、昔はやっぱり身分社会というか、身分社会であっても、そういう中でみんな一生懸命頑張ってきたということじゃないかと思います。製作にあたって時代劇のポリシーのようなものは如何でしょうか。

 

泊 ポリシーというほどではないけど、時代劇で受けるのは、強い人が出てきて助けてくれた、それが実は身分の高い偉い人だった、というパターンでして、日本人は依頼心が強い国民性と思って作っていました。それと時代劇はお年寄りが観ているからといって、老人を助ける話は受けない。やはり若い娘を助けないとダメでした。

 

三吉 ああ、お上依存のような。(笑)映画の「最後の忠臣蔵」(平成25年)はとてもよかったですね。最後の方で涙が出そうになりました。でもあれもやっぱり脇も良かったのは、最初にちょっとしか出なかったけれども、仁左衛門(片岡)さんが大石内蔵助で、内蔵助に頼まれて落とし子さんを命をかけて育てるという最後の義士、とってもよかったなと思いました。

 

泊 驚きました。新しい時代劇も観ているんですね。原作者は池宮彰一郎で、69歳で「四十七人の刺客」を書いて一躍流行作家になりました。小泉元総理が大のファンでしたね。小説にするにあたって私も随分お手伝いしました。

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