Vol.8見習騎手

 競馬界の年度変わりは、必ずしも世間と一致しません。レース番組上では、日本ダービー(今年は6月1日)の翌週、2歳馬がデビューする週から新番組編成となります。我々の感覚では“新年度”です。

 厩舎社会(中央競馬)の人事関係の区切りは2月末日、3月1日。調教師の定年引退、新人騎手の登場など、新旧の入れ替わりがあります。

 写真は、2月17日、東京都港区にあるJRA六本木事務所(六本木ヒルズ内)で行われた免許交付式後のひとコマ。今年の新規免許騎手は7人ですが、中央に写っている柴田未崎騎手は36歳。ひとりだけ、髪型が違いますね。騎手生活を15年間送った後、2011年(平成23年)に一旦引退。調教助手を経て、騎手試験再合格という異色の経歴です。

  他の6人は、いずれも未成年の若武者。騎手養成機関である競馬学校を2月に卒業して、減量の恩典のある見習騎手として3月にデビューしました。

 見習騎手(減量騎手とも呼びます)は勝利度数により3段階に分けられています。

①30勝までが3kg減の▲。

②31勝から50勝まで、2kg減の△。

③51勝から100勝まで、1kg減の☆。

 ▲△☆の印は、見習騎手がどのランクの騎手なのか、競馬新聞などでひと目で分かるように示すものです。なお、この恩典は免許取得期間が通算3年未満の場合だけ適用されます。よって、前出の柴田未崎騎手は対象外。また、どんなに勝てなくても、誰もが3年経てば武豊騎手のような名手と同条件になることを意味します。

 騎手は、騎乗機会を自分で決められない職業です。そして、競輪選手やオートレーサーのように、原則として平等に斡旋されるわけでもありません。中央競馬だと、土日で24レース中20回乗る騎手がいる一方、1回乗れるかどうかという騎手もいます。「うまくない」と評価されれば、騎乗依頼は激減します。馬主や調教師の信頼を得るため、二十歳前後の見習期間3年が騎手人生の勝負。実に厳しい世界です。

 特別競走とハンデキャップ競走以外の、いわゆる平場戦に騎乗する場合、見習騎手はランクに応じて減量での騎乗となります。デビュー時は当然、全員が3㎏減の▲。いかにも未熟な感じの新人が大半ですが、俗に「1㎏で0秒2違う」と言われていますから、少々下手でも見習騎手は起用されます。実際、斤量の差がゴール前で大きく影響するシーンは少なくありません。

 6人がデビューして、約3ヵ月。徐々に差がつき始めました。注目騎手は2人。今のところ……ですが。

  松若風馬(まつわか・ふうま)騎手、小崎綾也(こざき・りょうや)騎手。

 5月18日時点で松若騎手は9勝、小崎騎手は7勝。見習騎手ランキングで2位、3位。1位は2年目、4位は3年目の騎手ですから、先輩に伍して堂々たる成績です。連対率(2着までに入る率)が高いのも特徴で、他の見習騎手と比べると一目瞭然。この2人、馬券で狙えます。5月24~25日の新潟競馬は騎乗数のわりに成績は今ひとつでしたが、それでも1勝ずつ挙げました。

 経験を積めば、うまくなる騎手は一気に上達します。技術があるのに、30勝まで3㎏減、50勝まで2㎏減で平場戦に乗れるとなれば、これは有利です。軌道に乗ると、どんどん勝ち星を重ねていきます。

 恵まれた面があったとはいえ、好スタートを切りました。今後につなげられるかどうかは、当人たちの精進にかかっています。もちろん、他の新人も負けたくないでしょう。栄光を目指す若者の切磋琢磨、ぜひ注目してください。


田所 直喜(たどころ・なおき)

1964年(昭和39年)6月10日生まれ。東京都国分寺市出身、妻と2人暮らしで今も在住。

海城学園は高校の3年間で、1983年(昭和58年)卒業。1年の担任は長島先生。2~3年は文Bコースで河原先生。

東京学芸大学教育学部国語科を卒業と同時に、1989年(平成元年)、(株)日刊競馬新聞社入社。以来、中央競馬担当の編集記者として活動。

現在、編集部中央課課長、採用担当責任者。