Vol.6 「ネッシー国際探検隊」裏話

 早いものでこの海原メディア会ブログの掲載もいよいよ最終回をむかえる。

 今回はネッシー国際探検隊(石原慎太郎総隊長、康芳夫全権プロデューサー)の裏話をオープンにする。小生が石原元都知事と知り合ったのは東大在学中の頃だから、早いものでざっと五十数年前のことだ。彼が芥川賞を例の「太陽の季節」で受賞してから数年後である。小生が東大五月祭企画委員長を務め、委員会企画として「新しい芸術の可能性」と銘打った鳴物入りの座談会を開いて、彼と岡本太郎、武満徹、谷川俊太郎等を交え白熱の委員会企画を催したのだ。

 この縁で彼と知り合い以後親交を深めることになる。小生が興業の世界に入ったのも、彼の紹介で当時大女流人気作家だった有吉佐和子に会い、彼女の夫だった神彰につながったからだ。

 彼とはその後、いろいろな面で意気投合し、小生がムハマッドアリを呼んでしばらく後、彼を総隊長、小生が全権プロデューサーという鳴り物入りの構成で、ネッシー国際探検隊を組織し、ネス湖に乗り込んだのだ。日本で記者会見して、日本中のマスコミが賛否両論に沸き返ったが、それ以上に世界中のマスコミがそれこそハチの巣をつついた騒ぎになった。

 当時彼は三十数歳。現役の国会議員でもあったので、外国のメディアが問題にしたのはこともあろうに日本を代表する若手政治家が先頭にたって、イギリス人にとってホーリイアニマル「神聖なる未知の動物」を金の力にまかせて生け捕りにやってくるとはとんでもない話だということだった。大げさに言えば天皇陵を毛唐が掘り出しにくるようなことだ。これがイギリスを代表するロンドンタイムス、BBCTVの論調だった。

 さすがの彼もこの事態に頭をかかえこんでしまい、ロンドンの記者会見の後、早々に日本に引き揚げることになる。一部のマスコミはペテン師プロデューサー康芳夫にオモチャにされた石原慎太郎という書き方をして囃し立てた。

 その後、都知事選に立候補して、当時の美濃部知事に敗れることとになったが、彼はその後会うたびに冗談半分ながら君のおかげで都知事選に敗けたといってぼやいていた。

 本来は総隊長SF作家小松左京に内定していて、小松左京ならなんら問題はなかったのだが、彼が俺がやると言ってしゃしゃり出てきたから、問題は大きくなったわけだ。このあたりがいかにも石原慎太郎らしいというところで、今もまったくかわっていない。

 小生は、いつも貴方は政治家には向いていないから文学の世界に戻ったほうがいいとアドバイスをしていたが、それが彼の癇に障り、しばらくコミュニケーションが途絶えた。いい意味でも悪い意味でも彼のストレートな人間性が彼の持ち味であろう。

 先年久しぶりにネス湖を訪れ、いろいろな感慨に耽ったが、小生のプロモートしたイベントとしては、極めて異色のものであり、我が青春の忘れがたい思い出であることは間違いない。

 最後に長い間、小生のブログに付き合って頂き、ありがとう。今後ともよろしく。


康芳夫(こう・よしお)

昭和12年、西神田生れ。昭和31年、海城高校卒業。昭和36年、東京大学(教育哲学専攻)卒業。卒業後、「呼び屋」の世界に入る。

主な仕事。ボリショイサーカス、インディ500マイルレース、「オリバー君」招聘。その他、アリー猪木戦コーディネーション。

ネッシー探索隊(総隊長、石原慎太郎前都知事)プロデューサー。