Vol.5 1984年ロサンゼルスオリンピック放映権の内幕
海原メディア会ブログも早いもので五回目となる。今回は東京オリンピック開催が決定し、主催プロデューサーである都知事がスキャンダルまみれで辞任するというおまけがついたこともあって、小生が深く関与した1984年ロサンゼルスオリンピック放映権をめぐるスリリングな内幕を暴露する。
日本サイドの基本的対応は例によって電通が仲介し、NHK、民放が共同で放映権を取得するパターンであった。この対応に不満を抱き一打逆転を狙っていたのが、他ならぬTV界の怪人物、当時テレビ朝日専務だった三浦甲子二である。彼はモスクワオリンピックの独占契約を成立させたが、ご存じの通り様々の国際的事情で実現しなかった。これのリベンジを狙って、1984年ロサンゼルスオリンピックの独占契約を密かに狙っていたのだ。
しかしながら抜け駆け交渉はしないという紳士協定が彼の前に立ちはだかった。小生も又当時興業界の怪人物といったこともあって、彼とはウマが合い仕事上も、その他彼の私生活における女性問題の処理等も含めて深い因縁があった。タイミングを計ってロサンゼルスオリンピック委員会との極秘交渉を持ちかけると渡りに舟とばかりに話に乗っかってきた。小生の顧問弁護士がロサンゼルスオリンピック組織委員長の弁護士ということもあり、この裏交渉には絶対の自信を持っていたのだ。三浦専務としては紳士協定によるしばりもあり、テレビ朝日の名前はギリギリまで伏せておくことを条件に小生に委任状を渡すことになる。ロサンゼルスオリンピック組織委員会は小生の顧問弁護士を通じての交渉に直ちに応じてきた。ピター・ユベロス委員長は名うてのやり手であり、日本サイドの紳士協定なんてものは初めから問題にしなかったのだ。
その後ロサンゼルスオリンピックの大成功により、大リーグのコミッショナーに就任している。ちなみに小生の弁護士ロバート・アラムは、モハメット・アリの弁護士として、例のアリ徴兵拒否裁判で勝訴し一躍世界的に名をしられたやり手弁護士。現駐日アメリカ大使の幼少時からケネディ家の弁護士も務めている。現在は世界的ボクシングプロモーター。
然しながら結果的には小生の極秘交渉がAP通信によってスクープされ日本サイドは蜂の巣をつついた騒ぎとなり、テレビ朝日とメディア連合軍が和解せざるを得なくなり、小生は引く形で一件落着した。然し、三浦からは委任状にもとづき、銀座の高級クラブで十数年は飲み続けるぐらいの経費はちゃっかりいただいた。以上がロサンゼルスオリンピック放映権を巡る裏話のすべてである。
康芳夫(こう・よしお)
昭和12年、西神田生れ。昭和31年、海城高校卒業。昭和36年、東京大学(教育哲学専攻)卒業。卒業後、「呼び屋」の世界に入る。
主な仕事。ボリショイサーカス、インディ500マイルレース、「オリバー君」招聘。その他、アリー猪木戦コーディネーション。
ネッシー探索隊(総隊長、石原慎太郎前都知事)プロデューサー。