Vol.1 「最近のマスコミ事情」
往時渺茫、小生が我が海城学園を卒業してあっという間に六十数年がすぎ去った。その間、母校にはごぶさたしっぱなしだったが、最近徳光和夫君が同窓会長に就任した縁もあって、毎年同窓会に出席させてもらっている。彼とは仕事上では約四十年近いつきあいがあるが、彼に頼んだ最初の仕事は「オリバー君」歓迎パーティの司会であった。ちなみに、今をときめくテリー伊藤君は当時TV界に入りこんできたばかりで、かたがきは演出助手、実際の仕事は「オリバー君」の食事係等雑用係り。
余談はさておいて、このたび母校に「海原メディア会」なるものが誕生したのにはいささかの感慨を禁じえない。小生在校時は大学進学者の中からメディア関係に就職する者はほとんどいなかった。当時正に「高度消費情報社会体制」が本格的に始動しはじめた時で、文科系の大学卒業者が、こぞってメディア関係に就職を希望し、入社試験がむずかしくなり、その結果として、一流メディアに母校出身者が就職することはむずかしかったということだ。然るに、このたび結成された「海原メディア会」名簿を見ると広告代理店を含む一流メディア在職者がずらりと並んでいるではないか。これはいうまでもなく、小生卒業後しばらくして、母校が一流進学校と化したことと、密接に関連したことであろう。とはいうものの小生としてはやはり隔世の感があるのは否めない。小生も日活、岩波映画等はパスしていたが、いきがかりでいわゆる「呼び屋」の世界に足をつっこむことになってしまった。
以上とりとめないことを書きつらねたが、本稿のテーマが「現代を斬る」ということなので、海城メディア関係者に、一言「アドバイス」をしてしめくくりとする。小生は仕事上、メディア関係上層部との交流はそれなりに深いわけだが、最近の「マスコミ」は、広告代理店は論外として、「タガ」がゆるみきってしまっている。我々の頃は、マスコミ志望者はまがりなりにも社会の「木鐸」たらんとする意欲、野心をもってのぞんだが、今の連中は銀行、商社等にふられてしかたなくマスコミ界に入ってきた連中も多く、従ってはじめから「サラリーマン化」してしまっているのだ。これではどうころんでも社会の「木鐸」たり得ることはありえないではないか。これは日本の「未来」にとってまことにうれうべき状態である。この「駄文」を読まれた「海原メディア会」関係者の中に思いあたるところある人が居るとすれば大いに反省してほしい。
康芳夫(こう・よしお)
昭和12年、西神田生れ。昭和31年、海城高校卒業。昭和36年、東京大学(教育哲学専攻)卒業。卒業後、「呼び屋」の世界に入る。
主な仕事。ボリショイサーカス、インディ500マイルレース、「オリバー君」招聘。その他、アリー猪木戦コーディネーション。
ネッシー探索隊(総隊長、石原慎太郎前都知事)プロデューサー。