VOL.31 自主規制
ドキュメンタリー作家の森達也氏の書いた「放送禁止歌」という本がある。「メディアにおけるタブーが時代とともにどう変わってきたか」を放送禁止になった歌を元に考察してみようと企画したテレビ番組の制作をめぐる顛末記だ。もともと「テレビで流れていた歌があるときから聞かれなくなったのはなぜか」という素朴な疑問から思いついた企画で「タブーに挑戦する」といった意図は全くなかったという。しかし企画提案してみると「禁止の歌は放送できない」、政治的、あるいは部落問題などの社会問題に触れると「えらいことになるからやめたほうがいい」と局の反応は否定的なものばかり。タブーという重たい壁に突き当たる。
そこはさすがにドキュメンタリー作家である。「なぜタブーなのか」「えらいことになるとはどんなことか」と逆に助言や警告の中身、事実関係をそれぞれの当事者、歌手、ディレクター、局、さらには部落解放同盟にまで直接あたって問い質し、何が問題なのか、歌詞の内容なのか、視聴者の声なのか、局側の判断なのかなどなど一つ一つクリアーにしてゆく。その過程はさながら謎解きをするミステリーの趣で、読者としてもどんな結末を迎えるのかと気をもむことになるのだが、結末はショッキングだ。「放送禁止歌という決められたものはどこにも実在しなかった」のだ。
それでも一度レッテルを張られた歌が番組に使われることはない。場合によってはCDなどからも消えたり、歌手自身もコンサートなどでもあまり歌わなくなっていたりしているという形で厳然とその影響は広がっている。作者は自戒を込めて書いている。「メディアには巨大な力はあっても自覚はない。無自覚であるがゆえに事態を前にあっさりと思考停止に陥り、規制という巨大な共同幻想をたやすく信じ込んでしまっている」。そしてそこで明らかになったのは「実態のない大きな影におびえる自分を含めた制作者の愚かな姿」だったと。
かつて勤務したことのあるテレビ局で原子力や部落問題、創価学会それにヤクザの世界を扱うのはタブーといった雰囲気があった。いまならさらに政治的な色彩の濃いものも加わるのかもしれない。テレビ事業そのものが特別の利権を得て、守られた枠の中で成立した営利事業である。営業的に不利益になるようなことははじめから避けようという経営判断があるのは当然かもしれない。そのため制作サイドにもできるだけ物議を醸すテーマは避けようという配慮がどうしても働くことは確かだ。だが問題は森氏が指摘したように無自覚に「そういうもの」「当たり前」と受け止めてしまうことだろう。
少し前まで、報道は「バイ菌軍団」とさえ言われる局のお荷物だった。経営的、営業的なものと対立しても必然性があると判断すればタブーといわれるものでも取り上げる覚悟がまだあった。しかしニュースが「売れる」ようになってからは報道部門は花形部署である。そこに加えて社会全体がマニュアル化し、規則、規制に慣れっこになっている。制作側ももはや自主規制していることを自覚することもなく真面目にきれいな報道に専心しているようにみえる。いまかの国の総務大臣が「偏った放送をする局の放送免許を取り上げる」と発言していることでテレビがさらに委縮するのではないかと心配する声が上がっている。
しかし、もはやバイ菌のいなくなったテレビ局に放送免許が必要なのかどうかを視聴者の方から声を上げた方が良いような気がする。
小西洋也(こにし・ひろや)
1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。
1966(昭和41)年、海城高校卒。
1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。
現在は自由業。海原会副会長、前海原メディア会会長。