Vol.28 格差の果て
ピケティ氏が火を付けた格差問題、日本でもあの分厚い本が15万部も売れるほどに関心が高まったが、あっという間に下火になってしまった。「日本における格差は他国に比べて大きくなく、しかもピケティ氏の指摘は日本には当てはまらない」という政府や批判学者の論評に納得したのだろうか。ピケティ本の後に「勝ち組に入るために投資で資産作りを目指せ」というハウツー本や雑誌の特集があふれたことみるとピケティ氏の分析を警告としてではなく投資指南書として消化したということだろうか。日本人の「エコノミックアニマル」ぶり(古いなあ)いまだ健在といいたいところだが、そんな楽観的なことを言っていられる状況なのだろうか。格差の拡大、固定化の先に明るい社会があるとは思えない。
週刊東洋経済が今年の4月『あなたを待ち受ける 貧困の罠』という大特集を組んだ。その中で「日本で問題視される格差とは、大衆層の貧困化なのである」と指摘している。資本主義経済を標榜する経済誌がこのような特集を組むこと自体驚きだがそれだけ事態は深刻だと言うことかもしれない。その中でセーフティネットの不備や社会福祉制度の不十分さなどから一度非正規労働の世界に入ると個人の能力や努力の範囲を越え、否応なく貧困の再生産へとはまり込むことが指摘されている。特に問題なのは次世代を担う子供たちだ。すでに6人に1人が貧困家庭にあり十分な教育が受けられない状態にあるという。健全な競争から生じる格差であれば許される面もあるだろうが、スタートラインがはじめから違う競争を強いられるとなればそれは健全な社会であるわけがない。
とはいっても事態は格差是正というより拡大に向かっているのが現実だ。非正社員のキャリアアップの道筋を整備せず、過労など競争から脱落した人を救いあげるセーフティネットも不十分な中で進められている派遣法の改正とか残業代ゼロ法案など一連の労働法の改正の動きは格差をさらに推し進めようとするものとしか思えない。うがった見方をすれば、は勝ち組にいるものにとっては格差拡大とその固定化こそが自らの立場をより強固なもの
にすることになる訳で、そもそも格差を是正する気はないのかもしれない。しかもしかも社会をリードして行くのは自分たちエリートであるとの妄想にとらわれ、優秀な人材以外はそれなりの役割を担ってもらう人材程度としか考えていないのかもしれない。
「ルポ貧困大国アメリカ」(堤 未果著 岩波新書)によれば弱者を食い物にする貧困ビジネスの最たるものは戦争だと書いている。貧困層の若者に大学の学費や医療保険の面倒をみるということで入隊を勧誘する実態や高額の報酬をちらつかせて戦場に労働者として送りだす民間派遣会社のことを報告している。帯には「他人事ではない格差社会の果て」とある。日本では徴兵制は絶対にないと誰かが言っているが貧困社会には徴兵制などはなから必要ないのである。安保法制と労働法の改定の動きが連動していないことを祈るばかりである。
小西洋也(こにし・ひろや)
1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。
1966(昭和41)年、海城高校卒。
1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。
現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。